あっくんと生きる

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あっくんと生きる

「左心低形成症候群」と診断された息子の闘病記+親の感情

母と父

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はじめに

ちょっと落ち着いたと思ったらまた沈んで.そんな状況です.

調べた情報を整理しようと思うのですが,まだ手が動きません.しばらくは,情緒的な話が続きそうです.

さて,こんな状況になり,夫婦で悲しんだり,不安を共有したりすることがたくさんあります.もちろん,多くの点で共感するのですが,やはり母であるということは父からすると超えられないものがあると,感じます.

今回は,病気をきっかけに感じた,そんな母と父の子に対する感情の違いについて,つらつら書こうと思います.

妻の自己管理

妻が妊娠してからというもの,その体調管理の徹底ぶりには感心したものです.妻はもともと物事を計画的に行うタイプであることは認識していましたが,大好きだった酒やカフェインの摂取は完全にシャットダウン,食事,サプリメント,睡眠,適度な運動など,とても綿密に自己管理をしてくれていました.

いくら子の為とはいえ,妊娠を境にあれほどの変革を遂げるなど,およそ私にはできません.断言します.

母,強し.本当,そう思います.

飛び切りの愛

どこからそんなやる気が沸いてくるのだろうと思うのですが,もう母性とか,母の愛とか,そういう次元のお話なのではないかと思います.

そんな意識がどこからやってくるのかということも考えると,やはり24時間常に子と一緒にいること,子が自分の体の中で成長していること,子の胎動を直接その肌で感じること,そういう子供との一体感が決め手なのだろうと思います.

妊娠する身体を持たず,およそ母性というものには疎い男の立場からは,頭で考え、想像を膨らます,といったレベルを超えた理解など到底できないでしょう.

それはもう,男性の思い込みを遥か彼方に上回る飛びっきりの愛を,お腹の子に捧げているような,そんな世界観なのだと思います.

動いているよ

ここまでは普通の妊婦さんと同じですが,息子が病気になってからも,母の強さを感じるものです.

そりゃあ,病気を知ったときは,私も父の立場として大きなショックを受けていますが,母のショックの大きさは計り知れないと思います.前述した愛の大きさゆえ,反動も大きいはずです.

そのショックの大きさゆえ,涙を流してしまう頻度や,落ち込んでしまう頻度は確実に私よりも断然多いのですが,私はそれを弱いとは思えません.

だって,私の方こそ,病気が発覚してからは妻のお腹を触ることすら,憚られてしまう時があるくらいなのです.息子が背負った病のことを思うと,元気に動くという事実が辛く心にのしかかってくるのです.

その子供が自分のお腹にいたと考えると,とても絶えられるような苦しみではないだろう.そんな風に思っていますし,同じ立場だったら私は妻以上にふさぎ込んでしまっているかもしれないわけです.

ところが,そんな私の弱さをよそに,妻は一生懸命子供に話しかけ,お腹をさすっています.お腹の子が動いたときは,

「ほら,動いているよ,触って.」

と,涙を浮かべながらでも,私に声をかけてくれるのです.

ちょっと前まであんなに泣きじゃくって,あんなに落ち込んでいたのに,子供が動くその事実に真っ直ぐ向き合って,笑顔を見せつけてくるわけです.

すごい.母,強しです.

申し訳ない

もう一つ,妻と夫で決定的に違う感情があります.それは,子に対する「申し訳ない」という感情です.

「左心低形成症候群」は,原因不明の先天性心疾患です.言ってしまえば,運が悪かったと解釈するしかありません.

特に,妻は子供の成長を考えて徹底的な自己管理をしていましたので,その行動が原因になったとは到底思えません.誰も悪くない.私は,そう思うのです.

一方,妻はしばしばこうつぶやくのです.

ごめんね,こんな思いをさせちゃって.申し訳ないよ.」

そう,妻は自分を責めてしまうのです.私がいくら「誰も悪くない,責任を感じる必要は無い」と伝えても,やはりそう簡単に片付けられる問題ではないようなのです.

もちろん,誰も悪くないなんて事実は,妻だって百も承知です.これはもう,子から感じる直接的なつながり,自分が子を育てているという意識,飛び切りの愛などから生まれてくる,女性特有の感情なのだと思います.

分かってあげたいし,きっとそう感じるのも無理は無いだろう,とは思うのですが,やはり男性の私には想像を膨らますことが精一杯です.およそ完全な「理解」「共感」などという言葉を使うのは,女性に対して失礼であり,おこがましい行為なのだろうと思います.

父の存在意義

じゃあ,私の存在価値って何だよって,感じてしまうことがあるわけです笑.女性ほど子への感情移入はできない,出産だって力になれない.無力中の無力なわけですね笑.

強いて言えば,逆に冷静でいられることが存在意義では無いかと思うし,そう思わないとおとーちゃんは心が折れちゃいます笑.

こんな状況なので,度々妻や家族が感情で動く時があります.無理もありませんし,否定するつもりもありません.子への飛び切りの愛があるわけですから,そういう意見はまずは聞き入れるべきです.

一方,感情先行の意見が家族にとって常に最善とは限りません.その瞬間瞬間では確かに苦しみを緩和させることができるかもしれませんが,長いスパンで見たときに,必ずしも家族全員の幸福度を上げることにつながらないような意見だって出てきてもおかしくありません.

そんなときこそ,愛の足りない(笑)私が,一歩引いた立場から理性的な意見も盛り込ませることで,多少は存在価値を感じることができるのかなと思います.10年,20年先の家族の未来を考えて,心を鬼にしなければならない場面もあるかもしれない.貧弱なメンタルを持つ私には,ちと重い役割かもしれません笑.

あとは,家族といる時間を確保すること.これに限るのでしょうね.私が役立たずでも,互いの存在を近くで確認できるだけで,心穏やかにいられることは,今回のことでよく分かりました.だらだらしねーで,チャッチャカ仕事できるようになれ,そういうことですね笑.

結局

妻は母性を,父は理性を,そんなところなのかなと思います.何か、新鮮味も何も無い結論になってしまいました笑.

ただ一ついえることは「母は強い」,これに尽きます.

悲しくてボロボロであるはずの妻から見える「母の強さ」を見ると,父も強くならねばとひしひしと感じます.

あっくん,こんな弱っちいとーちゃんのとこに来てくれて,ありがとう.強ーいおかーちゃんも待っているから,安心して外に出てきておくれや.