左肺動脈が閉塞してからというもの、状況が色々と変化してきました。
色々と尽力して頂いた結果、両肺フォンタン循環は断念し、片肺フォンタンを目指すことになりました。
速報として、本日時点までの経緯を、文字で起こしておきます。
バルーンカテーテルによるシャント復活の試行
前回、せっかく手術で形成したシャントが閉塞してしまった、というお話をしました。
この詰まったシャントを復活させるべく、バルーンカテーテルで、詰まってしまったシャントを復活させようという試みが行われました。
結論は?
結果は、残念でした。やはり、事前の説明通り、とても難易度の高いものだったようです。
少なくとも福岡市立こども病院における、現段階の医療技術をフル動員してできることは全てやりきった上で、左肺動脈の閉鎖は受け入れざるを得ないということになりました。
何をしたか?
私も素人なので詳しいことまでは分からないのですが、ヒアリングした結果を書いていこうと思います。主治医は専門用語を用いないように説明くださったので、カテーテル器具の名前と合わせるとこれのことかな、と思う単語は括弧書きで記述しています。
- 今回のシャントに適合するカテーテルはこの世界に存在しない。
- そこで、現存するカテーテルの中で、最も適合すると考えられる複数種類の冠動脈用カテーテルを用いて、今回の術式を試みた。
- エントリは、右大腿動脈。
- 最初に挿入する細い針は入った(おそらく、ガイドワイヤーのこと)。
- その後、バルーンカテーテルを入れたかったのだが、カテーテルの土台部分がシャントにはまらずに、術部周辺で振動的な挿抜が起きてしまった(おそらく、冠動脈用のシースがシャントに適合しなかったとうこと)。
- 何種類か試しても、どうしてもシースがシャントに適合しなかった。
- 器具的な面からも、医師の技術的な面からも、やれる術式はやりきったが、これ以上の継続は困難と判断。
これにより方針はどうなる?
という経緯があり、次のような方針を取ることに。
- 両肺フォンタンは永続的に断念。
- 目指すは片肺フォンタン。
片肺フォンタンによる弊害は?
概要
そもそも両肺フォンタン循環自体不安定な循環系です。それが片肺になることで潜在リスクが顕在化しやすくなるでしょう、という性質のリスクを抱えることになります。
逆に言えば、仮にフォンタン手術を目指せたとしても、ほとんど同じリスクを抱えていただけなのですから、まぁ似たようなもんですね。
具体的には?
例えば、次のようなもの。
- 本来2つの心臓で血液を送るところを、1つの心臓で送ることになる。
- そもそもそんな循環自体割と無理のあるもので、うっ血のリスクは避けられない。
- うっ血は、肝臓、腎臓、腸管の障害に繋がるリスクがある。
- 若いうちは大丈夫らしいが、30代あたりからこのリスクが顕著になるよう。
大体こんな感じっぽいです。
分かりやすくなった
まぁ、両肺フォンタンができるかできないかそわそわしている状態より、目標が定まったという意味で、分かりやすいと言えます。
両肺が片肺になったとて、治療の方針自体は大きく変わらないみたいですし、引き続き今までどおりこの病気とお付き合いしていけばよいわけです。
小言
あっくんは元気
何より、これだけ手術やカテーテルをしたあとでも、あっくんは元気だし、テクテク歩くし、手遊びもするし、音楽かけるとテンポよく踊るし(テンポに関しては本当によく合わせてくる)、美味しくない病院食もちゃんと食べています。
自己主張もハッキリするようになり、嫌なときはただ泣くのではなく、自分なりにできる動作で、何をして欲しいのか、意思を表現しようとしてくれているのが、ひしひしと伝わってきます。
こんなに幸せなことはありません。
だから、大丈夫。
今、この瞬間を大切に
多少目標が変わったり、ちょっと寄り道することなんてたくさんあると思います。そのときは、都度都度対応すれば、なるようになるはずです。上善如水です。
泣いても笑っても、やることは変わりませんし、結果も変わりません。起きてしまった過去は絶対に変わりません。
今この瞬間のあっくんに向き合い、締めるべきとこでは締めつつ、面白おかしく、ゆるーく真摯に向き合って行きたいと思います(←どっちだ笑。ていうか両方だ。要はバランスね。)。
片肺でも何でもいいよ、生きているんだから
まぁ、色々あったけど、それでもいいよってこと。
そもそも、生きてくれているんだし、それが何より有り難いことです。
※「有り難い」の語源はぜひ知っておいて使ったほうが良いということを、いつだか学んだ笑。釈迦の説法から始まった、それこそ「有り難い」お言葉らしい。 ↓ 1kara.tulip-k.jp
何度も言うけど、20年前だったら出生直後に死亡していた身体だったんだ。こんだけあっくんと一緒に楽しく毎日遊ぶことができて、うれしいったらありゃあしない。
逆に、20年後にはフォンタン以外の術式だって確立されているかもしれないので、あとはその可能性にかけつつ、保護者は今できることを精一杯やればいいだけのこと。
むしろ、退院しても、おとーちゃんがトイレに行くとき、まだ後追いで付いてきてくれるほど、おとーちゃんへの気持ちが残ってくれているかが心配です(←どんな心配だ笑)。
闘病それ自体は目的ではない
まぁ、一番頑張っているのは、あっくんですからね。これからあっくんの身に何が起ころうと、心はフラットに。淡々と落ち着いて、都度都度その状況に対処していけばいい。
多分、てかほぼほぼ何とかはなる。だから大丈夫。
そもそも、闘病それ自体は目的ではないのですから。目的を履き違えてはいけない。
本人の幸せを願って
あっくんが幸せな人生を送ってくれるよう、本人が納得できる生を全うできるよう支えることが、保護者の責務なのですから。
保護者がわざわざ(←オイ笑)心と身体をガリガリすり減らしまくって闘病に力を注ぐ目的は、ココにあるわけです。
フォンタン循環なら幸、片肺フォンタンなら不幸、という二律背反的なものではないし、あってはならないと思います。(※それは、片肺フォンタンやグレン循環、ないしノーウッド後グレン待ちの状態でありながらも、一生懸命闘病している病児ご家族に対して失礼な話です。)
だから、あっくんの治療、闘病というのは、彼の幸せの形を探る手段の一つでしかないんです。そのたった一つの手段が多少グラついたくらいで保護者が崩れたらこの先やっていけないでしょうし、そもそも人生というものはそれ以外の側面でも補填できる部分はたーーーーーくさんあると思います。
色々あっても、結果として「あっくん本人」が面白おかしく生きていけるように後押ししてあげられれば、何でもいいなーと思うのです。
ちょっとうまくいかないくらいがちょうど良い
ちょっとくらい試練があるくらいが、ちょうどいいことだってありますしね。(パラリンピックの選手なんかも、強靭なメンタルをお持ちなんだと思います。あと、親御さんもよく支えられたなーと、本当に尊敬します。)
もちろん、判断能力や経験・身体性の乏しさから、幼い子にはレールが必要な場面も多々あるでしょう。
しかし、何でもかんでも子どものために全部先回りしてお膳立てすれば良いというものではありません。上手くいかなかったり先行きが不透明な経験も大切と思います。かと言って丸投げ放置すれば良いというわけにもいかないでしょう。
転んだ時、失敗した時には、手を差し伸べられる程度の距離感を持って、本人が再チャレンジできよう後押しする準備をしておけばよいのかなと思います。バランスは難しそうですが、そこを見極める努力をするのも親の務めと思います。
かわいい子には旅をさせよ、獅子は我が子を千尋の谷に落とす、とは、いかにも先人の良き知恵です。予防接種だって似たような原理なわけです。
「これしかない」より「こんなにある」
だから、「これしか与えられていない」といちいち今の環境を嘆くのではなく、「今これだけたくさんのものが与えられている(命、五感、発話・運動能力、知性、その他諸々)」と考え、その環境をどう解釈し、いかに活用することで、前向きに生きていけるだろうかと考えると、いくらでも可能性が出てくる。
可能性があるということは未来が明るく見えてくるし、そんな空想を広げる事自体がとっても楽しいことだと思います。
あっくんからのプレゼント
あっくんの肺動脈閉塞イベントは、心に油断が生じていた保護者に対して、そういうことを改めて考えさせてくれるいい試練だったと思います。
あっくんがその身をもって、根性を叩き直してくれたのです。いいね!
病児家族だからこそ見える世界や、考え方をプレゼントとして授けてくれたという意味で、大変貴重な経験だと、切に感じています。
いつも色々な試練を与えてくれてありがとう、あっくん。これからまだ数十年色々あると思うけど、一緒に乗り越えていこうね。
おわりに
左心低形成症候群ってのは、やっぱり一筋縄には行かないようですね。
まぁでも、これもありかなと思います。一筋縄に行かないということを身をもって学ぶことができましたし、心持ちも新たに前に進むことができそうです。
このような症例があるということをその身を挺して医学データベースに残したあっくんの功績は大きいでしょう(←オイ)。
それはさておき。
片肺だろうが関係なく、今後も頑張っていくよ、という速報です ^^
あっくん:フォンタンってなんですか?牛タンみたいなもんですか?なんか美味しそうな名前ですね!
おとーちゃん:そう言えば仙台の牛タンをしばらく食べてないですな。デカくなったら一緒に食べようね ^^