あっくんと生きる

あっくんと生きる

「左心低形成症候群」と診断された息子の闘病記+親の感情

衝撃の診断

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はじめに

あっくんが「左心低形成症候群」の診断を受けた日を振り返ります.

2016/05/某日 (22週2日): 北九州医療センターで検診

検診の朝

急遽やってきた大きな病院.妻はもう心配で心配で堪らないといった様子です.私は,それでもやっぱり何かの間違いだろうと思っていました.かかりつけだった町医者の先生も,宮城の先生のメモが無ければ「経過は順調」ということで,検診が終わっていたはずでした.

きっと,宮城の先生が少し心配症で,大したことのない疾患でもしっかり診てもらうことを勧めるタイプの人だったんだろう,と思っていました.大きい病院の最新の設備を使って診察すれば,誤差なく精確に診察ができるから,「問題ありません」と,言ってもらえるのだろうと思っていました.

そんな日の朝,お天気は超どしゃぶりです.よりにもよって出かける日にこんなどしゃぶりじゃなくてもいいのにさー,なんて思いなから支度をしていたその時.ふとマガジンラックに手をかけると,これまで壊れたことが無かったラックの接合部が「パラッ」と外れたのです.「え?こんなところ普通壊れなくね?」と思うような壊れ方です.何となく嫌な予感はしたのですが,まぁ気のせいだろうと,特に気にしないようにして準備を終え,病院へと出かけました.

今思えば,土砂降りだったのも,ラックが壊れたのも,あの通告の予兆だったのかもしれませんね.

診察を受ける

初診なのでしばらく待ちます.私は大丈夫だと言ってもらうことを確かめるために来ているという意識だったので,早く診察してもらいたいなーと思っていました.妻はずっと心配しています.診察をうけるのが怖くて怖くて仕方ないというのです.私はそんな妻が心配で,大丈夫大丈夫と,楽観的に慰めるばかりでした.

2時間ほど待って,診察室に向かいます.私たちは経緯を説明しました.先生も笑顔で,「何でもないといいね」と伝えてくれました.何でもないですよ,と私は思っていました.

エコーの装置を妻のお腹に当て,中の子供の様子を伺います.見慣れた光景です.設備がでかくて綺麗でかっちょいいこと以外は,特に今までの検診と変わった様子はありません.あかちゃんはとても元気に動いています.先生は最初に心臓をちらっと見ます.

先生:「ちょっと身体の向きが悪いから,心臓が良く見える方向になってから確認しましょうね.」

とのこと.

今思えば,見た瞬間に気づいちゃったのかもしれませんね.気を遣って下さって,心臓の診察を後ろに持っていっくれたのでしょう.

そこから,背骨,手足,頭,そして男の子の「象徴」を確認してもらって,大きさが平均通り順調であること,胎児は元気であることを伝えてくれました.「ほら,やっぱり大丈夫だ.」私はそう信じていました.

死ぬほど長い診察時間を過ごす

次に,心臓を見てもらいます.形状や,血流,心音などを念入りに診てくれています.きっとこれまでの診断は計測誤差が影響しているはずだ.今回の検診で使う,このスーパーかっちょいい最新装置で診断をすれば,息子が正常であることを確認できるはずなんだ.そう信じて止みませんでした.

しかし,中々先生は口を開きません.丹念に,何度も,何度も,何度も,心臓を確認しています.拡大したり,全体を見たり,血流をまた見たと思えば,今度はエコーの装置を使い分けて色々なパラメータを確認したりして,一向に口を開く気配がありません.

一体何を見ているのだろうと,時間が経てば経つほど不安は募るばかりです.

「もう良いだろう,早く問題ないと診断してくれ.」

なんて身勝手なことを考えながら,まるで永遠のように至極長く感じる時間を診察室で過ごします.正味10分程度の短時間だったのかもしれません.でも,それは私達にとっては,息が詰まるような,死ぬほど長い診察時間でした.

通告を受ける

そんな息切れしてしまいそうな張り詰めた空間で,長い(と感じる)時を過ごし,とうとう先生が口を開きます.

もう,これは鮮明に覚えています.

先生:「んー...残念ながら,赤ちゃんは病気ですね.重度で言えば,重症です.」

先生の言葉のトーンが変わります.

先生:「生まれた直後に心臓の手術ができる病院で産んだ方がいい.いや,いいなんてものではなくて,そういう設備が整っていて,かつ専門の先生がいる病院にかからなければダメです.全国的にも手術が可能な病院は限られているのですが,この辺りなら…」

これまで淡々と話していた先生の目つきが変わっているようでした.病院名を伝えてくださっていたのですが,福岡のどこかということだけを認識することしかできませんでした.

先生:「心臓と言うのは…で,…が…で,左の心臓が全身に血を送る役割があり,…です.お腹の中にいる間はバイパスがあるので,右の心臓からでも全身「血液を送ることができ,問題なく成長できるのです.しかし,生まれた直後にそのバイパスは役目を終えて無くなる運命にあるのです.それで….」

既に頭ん中がサーっとしていて,もはや何を言っているんだか,話の全容はよく認識出来ていませんでした.それでも,断片的に認識できた情報から,「要は,お腹にいる間は元気に育つのに,生まれた瞬間死んじゃうってことなんじゃねーの?」ということだけは,辛うじて理解できました.

先生:「この病名は…」

そう,一番聞きたくなかった単語です.

先生:「…左心低形成症候群と言います.」

…う…そ…だろ…?

少ししか調べていなかったので何となくしか分かりませんでしたが,「左心低形成症候群」っていうのは種々の先天性心疾患の中で最も重度の高い,難病中の難病だろ….もう心臓病で生まれてきてしまうにしても,せめてこれ以外の病気であって欲しかったのですが,その願いはどうやら叶わなかったようです.

もう,頭の中が真っ白です.どうしよう,どうしよう,という感じです.でも,本当にやばいのは妻のほうです.ここで自分がパニックに陥る訳にはいかない.とりあえず,気を保ち,冷静になることに努めます.

あと私達夫婦に伝えられたことは,以後は北九州医療センターで検診を受けるべきであるということ,次の診察は2週間後であるということでした.他に異常がないかを,例のスーパーかっちょいい最新装置で見てもらうためです.

この疾患に関しては,他の異常は見受けられないということが出生後の治療に大きく作用することが知られているようで,そこを重点的に診てくれるのだと思います.幸いにも,現時点で息子にその他の疾患は確認されておりません.

その後,妻に対しては別途,今後の受診の仕方等といったより具体的な話が伝えられたようですが,妻も気が動転していたようで,良く覚えていないようでした.

両親に報告する

会計を終え,外に出ます.時刻はちょうどお昼時.飯なんて食ってられるような精神状態ではありませんが,何か食わねばあっくんが育ってくれませんし,私も栄養を摂らねば家族に迷惑をかけることになってしまいます.取り敢えず何か食べようと言うことで,外食をすることに.

その前に.

そうです.両親にこの事実を報告せねばなりません.私の口から両家の親に伝えたのですが,予想通り皆を困惑させることになってしまいます.これが結構辛いのです.せっかく孫の誕生を楽しみに色々と準備をしてくれていた両親が,私の一言から多大な心配を背負うことになってしまうのです.

特に,妻方の両親はたまったものではないでしょう.でもご両親は,「この事実を受け入れて,前に進むしか無い,一緒に頑張ろう」と仰ってくれたので,私達夫婦にとって大きな心の支えになりました.ご両親も悲しい気持ちを抑えて,私達を元気づけてくれているのだから,それに応えられるよう夫婦で協力して頑張ろうと決意しました.

帰る

お昼ごはんを食べて,電車に乗ります.

これまで私は病気のことを調べないように避けてきましたが,診断が確定した今は病気のことが気になって気になって仕方ありません.烈火のごとくGoogle先生で検索しまくりました.

なんか,もはや絶望的な情報しかないではありませんか.もう,子供が不憫で不憫でたまりません.不安は募るばかりですが,しっかりしなければなりません.

そして,帰宅します.

外にいる間は我慢していたのでしょう.本当に,よくここまで我慢してくれたと思います. 妻が泣き出します.もう,これでもかってくらい.

「なんでえええ!!!どうしてえええ!!!もぉどうしてえええ???どうしてうちの子なのおおお!?!?!?わあああぁぁぁ…」

もう,声にならないような叫びです.

今まで「大丈夫,大丈夫」とだけ言っていた私も,軽はずみにそんなことは言えない状況になってしまいました.なんと声をかけてよいのか言葉が見つからず,ただ目の前で泣きじゃくる妻に胸を貸し,この事実に対して一緒に悲しむことしかできませんでした.

妻が目の前でこんなにも苦しんでいるのに,何もしてあげることができない現実を前に,自分はなんて無力な人間なんだと思っていました...

調べる

私はこの時,妻が泣くような勢いで泣いている状態ではありませんでした.なんというのか,自分はしっかりせねば,パニックにならないようにせねばと,一歩引いてこの事実と向き合おうとしていました.人でなしと思われるかもしれませんが,こういう瞬間的に起こる変化に対しては,少し強い方なのかもしれません.

そこで,この憎き「左心低形成症候群」とその治療法についてちゃんと理解し,今後の方針について考えようと思い,また烈火のごとくGoogle先生にお尋ね申しました.

まぁ,調べたところで,結論は結局これです.

「ふむ,やっぱりこれは大変な手術が必要な,極めて重篤な疾患だ.」

期待する

そこで当初は,せめて妻が出産する場所くらいは,本人にとって安心できる環境であるべきだと考え,地元宮城県の病院にかかることを検討しました.妻の実家からも通えるほどの距離にその病院があり,憎きこの病気の施術実績もあるという情報をキャッチしたので,キタコレ!と思って,少し見通しが立ったと思ったものでした.

精神はボロボロ,目の周りもボロボロの我々.夜は寝られるのだろうかと心配していたのですが,逆にその日はクタクタに疲れきって,夫婦共々バタバタと眠ることができました.

この病気との戦いは,まだ始まったばかり.おとーちゃんとおかーちゃんと一緒に頑張ろう,あっくん.