はじめに
「左心低形成症候群」を患ってしまったあっくんは,出生後に手術を施されなければ,この世を去ってしまうことが確定しています.
ここまで,そんなあっくんに対して手術を施すことが当然のように奔走している記述をしてきました.もちろん,親の情緒からくる「助けたい」と思う気持ちは先行していました.しかし,そんな行動をとりながら,「手術を施す」という選択自体を疑念に感じることもあったのです.
記憶の新しい今のうちに,その辺りの経緯を記しておくことにします.
葛藤
この厄介な心臓病を患った子を授かったご両親の多くは,子どもに手術を施すことを選択しています.私達も同じこと選択をとりました。
一方,敢えて「何もしない」という選択する親御さんもいらっしゃるようなのです.「人でなし」と思うでしょうか?私は,そうは思いません.むしろ,勇気ある決断を下したその強い精神は,敬意を払うに値すると思います.
何もしない
病気で苦しむ子どもに「何もしない」とは何事か!私も初見ではそんな感情を抱きました.しかし,少し考えてみると,そうでもなさそうだと言う感情も芽生えてきます.
人が生きること,人の命を助けることが大切であるということは当然承知の上です.ただ,子供を失うと自分が悲しくなるから,子供が死ぬことがかわいそうだから,という感情だけを理由に子供を「生かす」ことは,如何なものだろうと思う時がありました.
もし,子供を「生かす」こと自体が目的化してしまっているとしたら,本当にその選択が子供の人生にとって良いものなのでしょうか.
このことは,一旦立ち止まって考えなければならないのでは?そんな風に思ったのです.
無限ループ
仮に息子の手術が全て成功し,運よく順調に成長できたとしても,一生障害者として生きていかなければなりません.生涯にわたりたくさんの薬を飲み続けなければならないし,何度も入退院を繰り返すことになるかもしれません.
いつ不整脈や心不全が起こるか知れないリスクを常に背負いながら生活することに,子供がストレスを感じてしまうかもしれません.そういう一種の「恐れ」を抱きながら子供を「生かす」ことが,家族にとって本当に最善の選択なのだろうか?そういう問題と直面しなければなりません.
こんなことを言うとその状況に遭遇してしまった人が不快な思いをするかもしれませんが…,例えば全く治療する方法がないのであれば,選択肢はありません.もう,ただその事実を受け入れるしかありません.本当に辛いそんな状況においてできることは,限られた家族との時間を精一杯生きる.その一択のみです.
一方,極めて難度の高い手段を取るにしても治療方法が存在する以上,そこに選択する余地が発生します.
- 手術をしなければ確実に命を落としてしまうが,障害で苦しむことはない.
- 手術により命は助かるかもしれないが,病気は完治することなく障害を背負って生きることになる.
さぁ,あなたはどっちを選ぶ?そんな状況です.
おわあああーーー!!!
さて,以上のように,一生障害で苦しむことになりうる子供のことを思うと,何も考えずにただ「生かす」という選択を取ることは,子供を失いたくない感情を持った私達親のエゴなのではないだろうかと考えてしまいます.
でも,そんなリスクを背負うことが本当に怖いのは,実は親自身なのかもしれません.そんな理由で子供に「何も施さず」に死なせてしまうことも,親のエゴではないだろうかとも思ってしまいます.
いや,しかし….
はい,無限ループです.どこかでブレークしなければなりません.
強い
おそらく,「何もしない」という選択を取った方も,同様の葛藤を抱いていたはずです.その上で,子供に生涯苦しい思いをさせることを避けるため,敢えて「何もしない」という選択を取ったのでしょう.そして,残された僅かな時間を健常な子供と同じように過ごすことが,その家族にとっては最善の選択と判断したのだと思います.
それはもう想像を絶するほどの,苦渋の選択であったことでしょう.
それにしても,強いです.仮にそれが最善の策だと考えたとしても,「何もしない」という行動を実際に取ることができるでしょうか.よほどの決意と覚悟が無ければ,到底できるものではありません.
私のように心の弱い人間には,その選択はとれないでしょう.だから,冒頭で「敬意を払うに値する」と申したのです.
選択
色々な家族がいらっしゃることは分かりました.では,私達家族はどう考えるか.これが最重要課題です.
結論から言うと,私達は,
子供に生きてもらいたい.
と思いました.子供を「生かす」ことにしました.
私達夫婦の心が弱いから,生きる望みを持つことのない息子を産み,ただ亡くなることを黙って見守るだなんて選択ができない.そういう感情を抱いていることを否定することはできません.事実,そうです.
それでも,やはり望みがある以上は,ありがたい境遇ではあると思うのです.
賭けられる望みがあるのなら,それに賭けたい.
それが,私達の素直な気持ちです.
ちょっと,最悪なケースを迎える場合の極端な2つの結末を比較してみました.
何もせずに命を落としてしまう結末. やれることは全てやったけど命を落としてしまう結末.
これらのうち,どちらの方が納得できるだろう?どちらの方が後で後悔しないだろう?そんな視点で考えてみました.
そう考えると即答でした.やれることはやってあげる選択肢をとる方がいい!
それに,20年前までは,この病気を患ったらほとんど生存は困難と言われていたようなのですが,現在は医療技術の進歩により沢山の子供が救われているようです.
それならば,更に20年が経ち,息子が成人するころには,より有効な治療方法が発案されているかもしれません.そんな見えない可能性にも賭けてみたいのです.無力極まりない私達は,世の天才医学研究者達に望みを託したいと思います.
よろしくお願しまーす!!!
脇目も振らず
さぁ,こうして,息子に生きてもらうと決断したからには,あとは脇目もふらず,最善の治療環境を用意してあげるのみです.こじつけと言われようが,親のエゴと思われようが,そんなことは関係ありません.夫婦で話して決めたことです.もう,迷いはありません.
病で苦しい思いをすることもあるかもしれない.でも,だからこそ,なんでもない当たり前なことでも幸せと思える人生を送れるかもしれないよ.息子にそんな風に思ってもらえる環境を全力で整えるようにするから,無事に生まれて,長く生きて欲しい.
どのような結末になろうとも,やはりこの世に生を受けるからには,何かに触れ,何かを感じると言った経験は,きっと本人のためになるはずです.(そう,信じないと,やり切れないのかもしれません…)
あっくん.俺達の元に生まれてくれば,長生きできると思ってくれたんだろう.だから,おかーちゃんのお腹のところに来てくれたんだろう.おとーちゃんとおかーちゃんは,もう迷わないよ.
だから,全力で生きてくれ,あっくん.