はじめに
あっくんの病気が分かってからと言うもの,すっかり精神的に疲弊していた時期がありました.
「何が人間にとっての幸福なのか?」
「どうせ死ぬのに何のためにこんなに頑張る必要があるのか?」
誰しも人生で何度も自分に問いかけたことのあるテーマではないでしょうか?
この問に対する絶対的な真理など存在しないと思います.しかし,自分の中の回答を見出すためのヒントくらいは欲しいと思い,色々な書籍を読んでみました.
その中から,これは子育てする上で参考になる考えが秘められているな,と思った本について,気分が乗った時にご紹介していこうと思います笑.
嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え
アドラーって?
アルフレッド・アドラー(1870-1937)は,かの精神分析学のフロイト,分析心理学のユングに並ぶ,心理学三大巨匠として認識されている一人で,個人心理学(individual psychology)を提唱した人物です.
この名称から「個人さえ良ければOK!という自己中思想なのか?」と誤解を受けやすいようなのですが,そうではありません.むしろ「自分なんて捨てたほうが良い.」という結論に達する,東洋哲学にも通ずる深遠な思想なのです.
名前の由来を紐解くとちょっとゴチャッとするのですが….
個人の英語の語源を基に
- in(できない)
- dividual(分割する)
と分けて考えると,
「個人とはそれ以上分割のできない存在である」
と解釈できます.アドラーの思想は,そういう風に既にまとまっている個人が,与えられた環境の中でその個人に必要な機能や能力を利用し,目的論的に行動していくというものです.
この思想は,かの著名なデール・カーネギーにも大きな影響を与えました.著書の中でも,アドラーを引用することがあるくらいです.
さて,この「嫌わられる勇気」という本は,アドラーの個人心理学研究の第一人者である伏見一郎先生監修の下に作られた本で,人生に悩む青年が哲人との対話を通じてアドラーの思想を理解していくという形態をとっています.
こういう概論的な説明って,あーもー!ってなるところなので笑,この本に従ってビビッと来たところだけ抜粋します笑.彼は人間一般について議論をしていますが,同書内ではよく子育てにも言及しているので参考になると思いました ^^
- トラウマを否定せよ
- 承認欲求を否定せよ
- 子供は親の所有物ではない
- 子供は褒ても叱ってもいけない
特に最後はほほ~って感じです.こういう考え方もあるのかと,目からうろこの思想なのです.
トラウマを否定せよ
引きこもりになる子を例に考えます.その子が引きこもりになった原因は,過去の両親の暴力にある.と誰かが主張すれば,わりと皆納得するでしょう.この原因論的な分析は,フロイトの精神分析学的な手法に通じるところがあります.
一方アドラーは,本人には引きこもりになりたいという目的があり,その目的を達成するために過去の両親の暴力を盾にする,という考え方を提唱します.本人の心のなかには,そもそも人と交わりたくないという究極的な目的があり,その目的を正当化できそうな理由をでっち上げるために過去の経験から良さげなものを引っ張り出してくるということです.
要は,
「トラウマなんて,自分が捏造した幻想なんだよ,目を覚まそうよ.」
と言っているのです.その根拠として,次のような論理を展開します.
「もしトラウマが成立するなら,暴力を受けた全ての子供が100%必ず引きこもりにならないと話が成り立たないよね?暴力を受けてもちゃんと社会復帰した子供がいるということは,因果関係で説明できる「地球には重力があるから,いかなる物体も自然に落下する」という説明とは本質的に違うものになるよね?だから,暴力と引き込もりの間には因果関係は無いんだよ.」
こんな風に,トラウマをいともあっさりと全否定するのです笑.
私達の常識に対する超強烈なアンチテーゼではありませんか?
ここでは割愛しますが,この論点に対して,極めて明晰にその有効性を主張してくるわけです.
「だから,過去なんて気にしないで,今を生きようよ.そして,どのように今を生きるのかを自分で決めて,勇気を持って行動しようよ.」
と言う趣旨で,「ライフスタイルの選択」という考え方を提唱しています.そして,大人になっても他者からの承認を求めてばかりいる人は,子供の時点でのライフスタイルから抜け出せていないのだと言うのです.
きっびしー!笑
この,子供時代のライフスタイルに関する考察を読むと,子育ての際に参考となる考え方だなー,と思ったものでした.詳細を話し出すとまたとんでもなく長くなるので笑,このあたりは書籍をご参照下さい ^^
承認欲求を否定せよ
これも秀逸です.承認欲求を駆り立てる近代国家の賞罰教育を否定するのですから.つまり,叱るな,褒めもするな,ということです.
私達日本人は賞罰教育に浸りに浸ってきているのでその方法に疑いすら持たないで生きてきた人も多いと思いますが,この本を読めば確かにアドラーの主張にも一理あるなと思うわけです.
例えば,褒められることを目的に行動する子供が,本人が期待するほどの注目を得ることができなかった場合を考えてみましょう.
「頑張ったのに誰も感謝してくれない.自分は他の人の見えない所でこんなに努力しているのに,誰も気づいてくれやしない.だれも褒めてくれないんじゃ,良いことをするのは馬鹿馬鹿しい!やってらんねーんだよ!!!」
いかがでしょう?自分,周囲を含め,このような感情を抱くことについて,全人生の中で,一切全く一ミリも心当たりが無いと,果たして言えるでしょうか?
賞罰教育によって,
「別に褒められなくてもやるべきことはやる.例え人が認めてくれなかったり,自分の思い通りに事が運ぶとは限らない場合でも,自分の責務は果たす.」
と言った倫理観が欠落してしまう恐れがあることを,アドラーは危惧していたのです.
承認欲求には終わりがない
しかもたちの悪いことに,この承認欲求には終わりが無いのです.いつか,自分の全てを認めてもらえると期待して完璧な自分を演じ続ける結果,子供が精神的疲弊を患ったり,問題行動を起こすに至る危険性があると警笛を鳴らしていたのです.個人が思っているほど,他人は自分を見てくれているわけではないのですから.
この考え方は,あながち間違っているとは言えないと思います.
共同体感覚へ
「だから,承認欲求なんて捨てようよ.そしたら自分らしく生きられるようになるよ(ライフスタイルの選択).もちろん,多少嫌われるかもしれないけどそんなの誤差みたいなもんなんだから,自分を信じて勇気を持って行動しようよ(自己受容).その代わり,他人がちょっとしくっても目くじら立てて怒ったりせず,まずは相手を尊重しましょうよ(他者信頼).そして,皆がハッピーになるようにしっかり社会貢献しようよ(他者貢献).皆仲間なんだから(共同体感覚).」
というフローで,「共同体感覚」という小難しい概念(要は,皆仲間ってこと)へと昇華させていくわけです.キリスト教的な宗教観(隣人愛)やインマヌエル・カントの道徳観(定言命法)にも通じそうなところがあるのですが,彼はそういうものを一切排除して,淡々と論理で仮説を展開してくわけですから,圧巻と言えるでしょう.
(とは言うものの,やっぱり価値の概念を持ち込んでいる節は感じますが笑.それに,アドラー心理学は仮説で終わっています.臨床による検証には至っていないのです.ここは認識しておいて損はないでしょう.)
子供は親の所有物ではない
ここから,子供は親の所有物ではない,一人の人間としてしっかり尊重しようという考えにも言及します.
「子供の理想像のようなものを親が勝手に思い描き,子供がそれにしたがって行動しない時に,あれやこれやと口を出して,習い事をたくさんさせたり,無理やり勉強をさせたり,そういった教育の仕方,改めませんか?」
そんなことを説いているのです.(もちろん,本人が望んでいないのに,という前提です.本人が好きでやる分には大いにやらせるべきでしょう.)
これについてどう思うかは人それぞれでしょう.しかし,社会通念的上当然知るべきことを教え導くという親としての責務を超えた範囲については,子供本人の意志だって尊重されて然るべき,という点については合意形成の余地ありと思います.
褒めもせず叱りもしない教育の実践は超難しい笑
ここまではいいのです.
さらにここから,賞罰教育を否定し,褒めも叱りもしない教育に及ぶのですが,このあたりの咀嚼が非常に難しい笑.
やや哲学的な理想論を唱えている傾向があるアドラーの思想(だからこそ素敵なのですが),実践する時に何をどうすればいいのかが,モヤッとしがちなのです.
結論を言えば,
「ありがとう.素晴らしい.感動した.」
というように,大人が大人に対して使うような賞賛の言葉を,子供にも使おうよ,ということだそうです.
「良くできたな.偉いぞ.やるじゃないか.見直したぞ.」
という,上から目線で評価するような言葉ではなく,対等な立場として接したらどうか,ということなのだそう.こんなセリフ,対等な大人同士の会話では出てこないでしょう?と.
それでも参考にはなる
アドラーの言っていることは,頭ではよく理解できるのです.
ところが,どれを取っても山の頂点を目指すような理想論が多く,色々と実践が難しいのです ^^; かと言って無駄になるかと言ったらそうではないでしょう.
かのインマヌエル・カントの言うように,理想たる「統整的理念」があってこそ,現実的な「構成的理念」を打ち出せるのですから.
自分がアドラーの思想を実践できるのか?そもそもその方法自体が自分の家族にとって妥当なのか?自分が子育てをしながら検証していく必要はあると思います.
感情に身を任せない
この本を読んで少なくとも思ったのは,子供に限らず,大人同士のコミュニケーショにおいても,大した根拠もなく怒りのこもった口調で何かを発言するのは,色々な意味で避けたほうがいいんじゃないかな,ということでした.
感情に任せて大きな声を出したり,不必要に強い口調で何かを訴えるという行為は,子供に限らず,人間の尊厳を踏みにじる恐れがあるのではないかと思います.実際,大抵の場合,相手も反発して言い争い,ひいては喧嘩に発展する確率が高いのではないでしょうか?それによって一体誰が幸せになるのでしょう?
だから感情はコントロールしようよ,とアドラーは言っています.驚くべきことに彼は「ついカッとなって」という感情まであっさり全否定するのです笑.それが可能である理由も同書籍で語られています.
争いが誰を幸せにする?
理性的に考えて,一体そういった争いによって,その場にいる誰が幸福になると言うのでしょうか?自分を含めて,誰か一人でも幸せにすることはできるのでしょうか?何かを解決することはあるかもしれませんが,怒り以外の方法によって解決する手段は一切全く無かったと言えるのでしょうか?これは,アドラーも言っていることです.
そして,その争いが,この社会に対してどんな貢献を与えられるというのでしょう?シリアからの亡命に失敗した何百人もの幼い子供達の命の一つでも救われたり,世界中で年間一万六千件というおびただしい数のテロによる被害者を一人でも減らすことができたりするのでしょうか?大げさに思われるかもしれませんが,世界の紛争の多くは承認欲求のぶつかり合いが引き金になっている場合が多いのです.
人は皆,幸せになりたいと願って日々生きているにも関わらず….
全ての悩みは対人関係にある
実はアドラーは,全ての悩みは対人関係にある,ということを前提に自らの思想を展開していきます.詳細は書籍をお読み下さい.
その良好な対人関係の秘訣.それは,感情に任せた軽はずみな言動を控えることなんじゃないかなと,ふつつか者ながらに考えてみた次第です.
だから,承認欲求なんて捨てたほうがいいのでしょうね.未熟な私には,まだまだできそうになく,はてどうしたものかと思っているのではありますが ^^;
好き嫌いの別れる思想ではありますが,それだけ世に訴えかけるインパクトがあるのです.一読の価値はあるように思います ^^