あっくんと生きる

あっくんと生きる

「左心低形成症候群」と診断された息子の闘病記+親の感情

あっくんの体重曲線(7ヶ月時点)

退院してからというもの,どんどん体重が増えていくあっくん.

そろそろ健常児にも追いつけるんじゃないかと体重曲線に載せてみたのですが,やっぱりまだ及ばずでした笑.

そしてふと思ったのです.

入院中の体重も曲線に載せてみたら,面白いんじゃないかな.

と言うわけで,今回はあっくんの体重曲線を公開してみます.

利用した情報

参照先

下記サイトでダウンロードできるエクセルファイルを参照させていただきました.

成長曲線作成表計算ファイル, as of 2017/04/10.

利用シート

このうち,「横断的標準身長・体重曲線 男児」の,「体重曲線」を抜粋して利用させていただきました.

改変部

エクセルファイルを編集し,補助線として±3SD(Standard Deviation, 標準偏差)を追加しました.

元データだと平均±2SDまでの補助線までとなっていたのですが,ノーウッド+グレン手術時のあっくんの体重は-3SDを下回る程の低体重となり補助線が足りなくなってしまったため,このような変更を加えております.

成長曲線に使われる補助線について

母子手帳に描かれている成長曲線には,平均とその周りの帯の部分から構成されており,我が子の体重がそこに収まっているかなーということを確認されると思います.

正体は標準偏差

それを正しく理解する上で,標準偏差は外せないので,何となく書いてみることにします笑.

ざっくり言ってしまえば,データのばらつき度合いを表すパラメータです.

絵で見たほうが早い

もう,授業みたいで嫌ですよね笑.絵で見たほうがいいですね笑.

というわけで,下図を見るとイメージできると思います.

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繰り返しになりますが,母子手帳の成長曲線にも,真ん中を突っ切る平均線と,それを囲む帯があると思います.この帯を形成する補助線に対して正に標準偏差が使われているのです.標準偏差を使うと,我が子が平均からみてどれくらいの発育状況なのかを,統計学的な観点から把握することができるのです.

このグラフを見ると,あっくんの体重はある時期平均-3SDを下回る値となっていますね.だから,前述の補助線を独自に追加したのです.

もうちょい具体的には

さて,あんまり難しいことを言ってごちゃつかせたくないので超簡単にケーススタディしてしまうと,次のように解釈できます.

  1. 平均±1SD の範囲に収まっていれば,まぁ平均くらいだよ.具体的には,全サンプルの約68.2%はこの中に収まっているよ.
  2. 平均±2SD の範囲だと,多くの人が当てはまるよ.具体的には,全サンプルの約95.4%はこの中に収まっているよ.
  3. 平均±3SD の範囲だと,ほとんどの人が当てはまるよ.具体的には,全サンプルの約99.8%はこの中に収まっているよ.
  4. 平均±3SD を逸脱するってのは,かなりレアケースだよ.片側の逸脱なら1000人に1人以下の割合だよ.

このあたりの話が分かると,子供の成長度合いが数値的に把握できるようになります.

体重曲線を分析してみる

すみません,若干趣味に走りました汗.

さて,気を取り直してこのグラフをもう少し分析してみようと思います(結局趣味に走っている気がする汗).分析というほど大した作業ではありませんが汗.

滞在した病棟との関連

先程,平均-3SDを下回る箇所がありましたが,あれはどこにいたときでしょうか?察しの良い方はわかるかもしれません.

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そうです,PICU滞在期間に体重が激減したのです.平均値より3kg以上の乖離を記録したのもこの時期です.

ノーウッド手術という大手術のあとですからね,無理もありません ^^;

イベントとの関連

イベントというか,処置と言うか,とにかく治療にまつわる各事象と体重変化の関係性に着目してこのグラフを見てみます.

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情報が増えたので,ごちゃついてすみません汗.各事象に対しての補足を,以下に記します.

  1. バルーン1では,肺動脈バンディングを一段階広げる心カテ術を行いました.点滴により水分が溜まり体重が増えたのですが,何故かその後戻らずそのまま体重増となりました笑.
  2. 基本的に一般病棟にいる間に体重が伸びているのは,おかーちゃんの頻回授乳作戦の賜物です.
  3. バルーン2では,閉じかかった卵円孔(心房中隔欠損)を広げる心カテ術を行いました.この後からあっくんの調子が悪くなり,全然ミルクを飲まなくなってしまい,体重減となりました.
  4. ノーウッド手術後,PICUにいる間は一気に体重が落ちました.
  5. 一般病棟に戻ってからはミルクを飲まなくなりしばらく体重減でしたが,途中から自力で飲めるようになり,体重が一気に増となります.
  6. 退院後も何度か体重測定の機会がありましたが,順調に増加しています.

現状は

そして現状,体重は平均-2SDの水準に達しました.平均まであと2kgのところまで追いつきました!

あまり急激に体重が増えるのも身体には良くないようなので,少しずつ追いつけているこの状況はひとまず健全であると解釈しています ^^

おわりに

今回は,あっくんの体重曲線を,治療の各フェーズと関連させながら眺めてみました.

入院中のご家族は,子供の体重が伸び悩んで不安になることがあると思います.私達もそうでしたし,実際あっくんの体重は平均から著しく低い水準にあったことが,今回のグラフからも理解できます.

しかし,今やあっくんはブクブク太ってギャーギャー喚くほど元気に成長しています.毎日の体重測定の度にいつもより体重が低いと心配になる気持ちを抑えることは難しいかもしれません.しかし,長い目線で見たらきっと回復するのです.今回の投稿が,そんな希望を少しでも抱いて頂けるきっかけになれば幸いです.

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あっくん:「プックプクだぜー!」

おとーちゃん:「離乳食めっちゃ平らげるもんな ^^;」

P.S. もう少し標準偏差について

しつこいですね笑.これ以降は無視して頂いて構いません.

筆を進めていたらつい書いてしまった文章が構成上浮いてしまったのですが,このまま消し去るのももったいない気がしたのでP.S.にします笑.

実は結構馴染み深い

実は標準偏差,高校入試や大学入試の偏差値の計算にも使われているのです.

平均点がずれたり,テストの難易度が変わったりして,点数自体がテスト次第で度々変化することがあっても,偏差値の方はテストに依存せず概ね安定した値となりますよね?

それは,平均点と標準偏差を活用することで,集団全体の得点の水準とばらつき度合いも加味したパラメータとして,偏差値を計算できるからなわけです.

TOEICの点数が大体安定するのも,同様の統計的手法によってスコアが算出されているためと思われます.具体的な計算方法まではよく分かりませんが.

もしちゃんとおさらいしたいなら

私の時代の教育課程の話ではありますが,標準偏差は高校二年生の数学で修学する範囲でした(ただし選択性でしたが).当時はわけも分からず公式を丸暗記するだけで終わった気がしますが笑.

そんな普通なら忘れちゃうような標準偏差をちゃんとおさらいしたいという素敵な方がもしいらっしゃったら,下記事が超絶分かりやすいです.

qiita.com

書籍で確率統計を復習するなら下書籍が素晴らしく分かりやすいです.

はい,この辺りで止めておきます ^^;

「サンキュ!」掲載に関する本ブログ記事の一部を,ハウスの公式ブログに引用して頂きました

前回の投稿で,あっくんが「サンキュ!」内のドナルド・マクドナルド・ハウス関連の記事に登場した件について述べました.

www.akkun-ikiru.com

それを受け,福岡ハウスのマネージャーよりご連絡を頂き,ハウスの公式ブログにて,当該記事の文章を一部引用して頂きました.

感謝の意を含め,ここでハウスのブログのご紹介をしたいと思います.

ドナルド・マクドナルド・ハウスのブログについて

当該ハウスの公式ブログ記事は,下記リンクからアクセスできます.小生が前回投稿した記事の一部とあっくんの写真をご紹介頂きました.

dmhcj.lekumo.biz

福岡ハウスに限らず,全国のハウスにおける取り組みやイベントの様子が定期的に紹介されているようです ^^

(これは私の個人的な都合ですが,自分の地元が宮城なので,仙台ハウスの投稿も気になって読んでみたりしています.)

ハウスでのボランティアについて

前回小生が投稿した記事では,患者家族目線での記述となりましたが,忘れてはならないのがハウスのスタッフと,ボランティアの皆様の協力です.

ハウス内での日常の作業の多くは,ボランティアの方々のご協力で成り立っているのです.利用者である私達の見えない所で,ハウスを快適に利用できるようにするためのメンテナンスを無報酬でしてくださっているのです.本当に感謝の思いしかありません.

そのスタッフやボランティアの方ご活躍についても,サンキュでご紹介されているので,是非ご覧頂ければと思います.

私達もいつか余裕ができたら,あっくんと一緒にハウスでボランティアをできたらなと思っています.あっくんはまだハウスに入ったことがありませんしね笑.

ただ,いかんせん場所が遠いのがネックですが,まぁその時が来たら考えることにします.

なお,ボランティアの申込は随時受け付けているようです.詳細はハウスのホームページの「サポートのお願い」→「個人の方」→「ボランティアに参加する」の項に記載されています.

www.dmhcj.or.jp

募金について

そして,ハウスのホームページにも記載されていますが,以前小生が下記エントリでもご紹介したとおり,ハウスの運営は100%募金で成り立っています.

www.akkun-ikiru.com

患者の負担も一日1000円となっており,ただでさえ負担の大きい病児家族の経済的負担を大きく軽減できる素晴らしい施設だと思います.

募金についての詳細もハウスのホームページから参照できるようです.

マクドナルドで募金可能

全国のマクドナルドのレジの前に,ハウスの募金箱があります.もし,ハウスの取り組みに賛同される方がいらっしゃいましたら,ハンバーガーを食べたときのお釣りの小銭を募金箱に入れて頂けたら,ハウス関係者や私達病児家族にとって大変ありがたいことと思います.

かく言う私も,ちょうど昨日近くのマックでハンバーガーを買ったときに,募金をしてきました笑.

福岡のこども病院でも募金可能

実は,福岡市立こども病院の売店のレジ前にも募金箱があるんです.こちらにも気がついた時にチャリンチャリン入れるようにしています ^^

おわりに

今回は,ハウスのブログ,ボランティア,募金についてご紹介しました.

今後も様々なお子様がこども病院で治療を受けることになると思います.

病院のスタッフと手術の日程を打ち合わせするときも,ハウスの利用をほぼ前提に話をしていたので,もはや病院にとってもハウスは立派なインフラとなっている程の重要施設なのです.

そんな未来の患者家族を支えるためにも,このハウスが持続的に運営されることを願って止みません.

あっくん,主婦向け雑誌「サンキュ!」に載る!

ご無沙汰しております.ブログの更新周期に激しい波があるモリケンです.そんな性格なだけかもしれませんし,メンタルの波と同期しているのかもしれません笑.

それにしても,春の陽気が暖かくなってまいりました.そんな中,月齢7ヶ月半を迎えても寝がえりができないあっくんですが,自己主張はどんどん強くなってきております.命が助かるかどうかという時期もあったことを思うと,頼もしい限りです.

さて,肉もついてやかましくなってきた,そんなあっくん.ノーウッド手術直後の全身ガリガリの時代に,実は密かに雑誌の取材を受けていたのです.

その取材を元に作成された記事が掲載された雑誌が,今月頭に晴れて発売となりました.

今回はその取材にまつわるお話をしたいと思います.

取材を受けた雑誌のご紹介

主婦向け雑誌界隈では定番中の定番と言われる,「サンキュ!」の2017年5月号です.本エントリ執筆時点での最新号です.130ページ辺りが当該特集となっています.

きっかけ

かのドナルド・マクドナルド・ハウスを利用していたときのことです.あれは確かノーウッド手術前で一般病棟に入院していたときのこと.年をまたぐ前か後か,そんな時期だったと思います.

ハウスのマネージャーから電話で取材の依頼が入りました.私たちはヘビーユーザーでしたから ^^;

ハウスの知名度向上が目的とのことです.まだまだ認知されていないことが,マネージャーの悩みのようでした.

おかーちゃんとも話して,本件快諾しました.実際かなりお世話になりましたし,私達ごときで良ければ何か貢献したいという思いもありました.

取材の時期

取材自体を受けた時期としては,下記事の頃です.ノーウッド手術後PICUからHCUに転棟したタイミングでした.

www.akkun-ikiru.com

という訳で,あっくんのコンディションは正直あんまり良くありませんでした笑.術後で全身ガリガリ,笑顔を取り戻しつつはあったものの,機嫌はまだ基本的に悪い時期だったこともあり,記事中に笑顔のあっくんはおりません笑.

あの取材時のHCUの一角.いつもとは違うバタバタとした空気が流れていたのが,昨日のことのように思い出されます ^^

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※雑誌中の当該記事の一部です.著作権・肖像権保護を目的に,敢えて画像を粗くして,文章の認識や個人の顔の特定を難しくしてあります.権利上の問題を避けるための処置ということで,何卒ご了承願います.

記事の内容

さてさて,肝心のその記事の主題は「離れて暮らす家族の家」です.

病院から離れた自宅から通院しながら闘病生活を送る家族にスポットライトが当てられています.そんな家族にとってドナルド・マクドナルド・ハウスが,物理的・精神的にどれほど救いになっているかが,患者家族の声とともに紹介されています.病児家族がハウスでどのような生活を送っているのか,その概要を理解できる構成となっています.

また,病児家族がどのような心持ちで病気と向き合っているのか.その心情も的確に描写されています.これから闘病生活を控えているご家族にとっても,ご参考になる情報も多分に含まれていると思います.

そこで紹介される病児の一人として,あっくんが登場します.そして,このブログのこともご紹介して頂きました.ありがとうございます.取材でお会いしたライターさんも,このブログを見てくださっているとのことで,これまたありがたい限りです ^^

それにしても,ご担当のライターさんの文章力が秀逸です.私達の拙い説明から,これほどの文章にまとめ上げるのですから,さすがプロ!と,密かに尊敬の眼差しでいっぱいです.

誰かの目に留まることを願い…

おそらく,自分の子供が難病になっていなかったとしたら,難病の家族を扱うページは流し読みしていたと思います.最近こそNHKで病児介護関係の特集に遭遇すると食い入るように見ますが,以前なら「大変な人もいるんだな」くらいにしか思っていなかったことでしょう.

実際に自分の家族が重い病気にかからない限り,どうしても世間一般からみた病気に対する認識は,この水準を超えることは難しいのが現状のように感じています.

しかし,そんな状況でも,誰かが少しでも情報を発信して,誰か一人の目にでも留めていただくことができるかもしれない.そんな思いが,ハウス,病院,出版社,そして患者の皆さんの協力で,形になったものです.

もしご興味がございましたら,目を通して頂ければと思います.関係者の皆様にとって本当にありがたいことと思います.

おわりに

今回は,あっくんの雑誌デビューについてご紹介しました.

本記事の最大の目的はあくまでハウスの認知度向上にありますが,この記事が一人でも多くの方に病児家族の実態を発信できることを願っています.

さぁ,あっくんはそんな我々の思いなどよそに,バタバタ暴れてギャーギャー喚くようになってきましたが笑,ありがたいことと思って見守ることにします.

急がなくていいけど,いつか成長曲線の平均値に追いつけるといいね.

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あっくん:「やっぱり昼寝はおかーちゃんベッドが一番だぜー♪」

おとーちゃん:「一人で昼寝できるようになってくれよ ^^;」

病児家族にオススメするかわいいお薬ポケット!

はじめに

あっくんは心臓病児ですが,病気の種類に限らず毎日薬を飲む必要がある病児もおられると思います.一生飲み続けなければならない薬もあるでしょう.

そんな毎日のお薬事情ですから,さっと取り出せて飲ませられる入れ物があったらいいなぁと思いませんか?私たちは退院することが決まった日にそう思いました笑.

ただ,子供の薬の場合,錠剤ではなく,粉薬となります.プラスチックの薬ケースだと一回あたりの薬を格納するスペースが小さく,使えない場合があります.

そこ登場するのがお薬ポケットです.今回は,私達が購入したお薬ポケットをご紹介します.

デイライブラリー お薬ポケット

我が家で購入したのはこちらです.Amazonでは見当たらず.

きっかけはおかーちゃんの一言です.

おかーちゃん:「せっかくだから何かかわいいお薬入れないかなー?」

横でそんなことを言うもんだから,おとーちゃんが適当に調べて(←オイ)これがヒットしたので提案したら,一発採用でした笑.

朝昼晩,一週間分の薬を小分けにできる仕様です.大抵の投薬には対応できるかと思います.

メリット

デザインがかわいい

恐らくこの商品最大の付加価値だと思います笑.このお薬ポケット以上にかわいいデザインは,私が適当に(←オイ)調べた限りでは見つかりません.

それに,種類も4つ.

ねこ,いぬ,チェック,ボーダーの柄から選ぶことができ,私たちは「いぬ」にしました ^^ (ねこでも良かったのですが,売り切れでした笑.)

↓こんな感じで,我が家のあっくんコーナー辺りの壁にかけて使っています.

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動物デザインではちとかわいすぎる,もう少しシックに攻めたいなら,チェックやボーダーもOKと思います.

我が子のお薬ポケットくらい「かわいい」あるいは「おしゃれな」ものにしたい!というママには絶好のチョイスとなるでしょう.

持ち運びが簡単

実はこのポケット,パタパタ折りたたむと携帯モードに変形します.

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一週間以内の外出なら,これをそのままひょいと持ち出せばいいのです.楽ちんです♪

落下防止用に全ての曜日のポケット+後述のフリーポケットにチャックがついているので,その点も安心です.

曜日に関係なく使えるフリーポケット

実はこのお薬ポケット,最下段の日曜日の更に下に,フリーポケットというスペースがあるのです.

これが結構侮れない.入り切らなかった分の薬や,持ち運びの際に予備として一週間+α分に薬を入れておくにはもってこいなのです.

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このフリーポケットが付いている商品が意外と見つからなくてですね笑.

あっても持ち運びできなかったり,持ち運びできるタイプだとフリーポケットの方が付いていなかったりで,中々しっくり来るのが見つからなかったのです.

そこにきて,デイライブラリーのお薬ポケットは,持ち運びもできて,かつフリーポケットが付いている数少ない商品だったのです.それでいてデザインも優れているのですから,やっぱりこれかなーと思って選択しました.

デメリット

価格

これだけメリットだらけなのですから,どうしてもココに来ますね.

相場より1,000円程高いことがデメリットかなと思います.

ただ,それでも約3,000円なので,デザイン性だけを考慮しても理不尽な値段設定ではないないなぁと言う印象です.加えて,得られる利便性も優れているので,拒絶反応を起こすほどの価格ではないと判断しました.

私の場合は,以下のように考えて購入に踏み切りました.

お薬ポケットなんて何回も買い換えるものでもなければ,哺乳瓶みたいに何本もストックしておくものでもありません.初回一発買ってしまえば,小学生くらいまでは使えるでしょう.

高学年あたりでかわいいデザインが恥ずかしいと思い始めるまで約10年です.本製品は約3,000円ですので,一年辺り300円,ひと月あたり約25円です.コーヒー一杯を外で買うのではなく自宅で入れればお釣りがきます.この程度の我慢で利便性とデザイン性を両取りできるのであれば,買い!と,いった感じです.

あぁ,うっとうしいですね笑.こういうこと言うと,いつもおかーちゃんに呆れられちゃうので笑,勝手にこう考えてポチってます ^^

他の検討対象

一応比較対象も一つだけ挙げておきます.

下記のお薬ポケットも検討したのですが,上述のお薬ポケットが一発採用となり,サヨナラでした笑.

デザイン性に劣りますが,相場より安価だし,シンプルで使いやすそうという点は評価できます.

ただ,フリーポケットも無ければ持ち運びに向かないという点からも,私もデイライブラリーにして良かったと思っています ^^

あっくんの投薬量

どのくらいの投薬量で利用できているかの参考として,あっくんのケースを記載しておきます.

あっくんは朝夕各4袋ずつ粉薬を飲んでいます.

※もちろんこれをそのまま飲ませるのではなくて,一旦お白湯で溶かしてからスポイトでお口に注入します.

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この量なら余裕で収まります.もう少し入れても普通に使えると思います.

※参考として,試しに一つのポケットに8袋入れてみましたが,入るには入ります.8袋ではさすがに取り出しがちょっときつくなるかな,と言ったところです.

おわりに

今回はかわいいお薬ポケットのご紹介でした笑.

長く使うことを考えれば,中々良い製品だと思いますし,あのかわいいいぬの顔を毎日目にすると,愛着も湧いてくるというものです笑.

病気で苦しむ我が子に,せめて長く使うアイテムはかわいいものを,というご家族には是非オススメしたいです♪

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あっくん:「最近お茶も飲むぜー!」

おとーちゃん:「薬の方が上手に飲むけどな… ^^;」

あっくん,離乳食デビュー!(グッズ紹介あり)

はじめに

前回の外来で先生に尋ねたことがあります.

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おかーちゃん:「離乳食って,始めても良いんですか?」

当たり前なことでも先生に確認

あっくんはもう生後6ヶ月半.健常児ならとっくに離乳食を始めている時期ですが,あっくんはまだ退院明けの心臓病児です.

こういう当たり前なでさえも,逐一先生に確認を取る必要があるのです.病児の家族はいつも心配なのです.

例えば

例えば,まだあっくんは外出できません.治療の関係上,健常児が受ける予防接種も一つも受けてないのです.風邪の種類によっては再入院,最悪の場合は命に関わることも.

じゃあ早く予防接種すりゃーいいじゃんと思うでしょう?でも,手術で輸血をした後,感染症のリスクを低減するために三ヶ月間は予防接種をしてはいけないのだそうです.さらに,心臓病児のあっくんでも受け入れてくれる近くの小児科を探す必要があり,ちょっと手間取っている状況です.

そんな状況なので,あっくんを連れて買い物にも行けません.今は私が育休を取れているので,おかーちゃんが家であっくんを見ている間,私が買い物にいけるのです.こちらには親族もいないので,ホント育休が認められていなかったらどうなっていたことでしょう….

結果発表

さて,いつものように話がそれました笑.お話を戻して,あっくんの離乳食の件です.

先生の回答はいかに!?

先生:「はい,離乳食いいですよ.普通に食べさせてあげて下さい.」

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

制限はある

ただし薬剤師さん曰く,

「緑色野菜については,過剰摂取は避けて下さい.」

とのことです.

理由は,緑色野菜はビタミンKの含有量が多いためです.

じゃあなんでビタミンKの含有量が多いとダメなのかというと,あっくんがワーファリンを服用しているためです.

じゃあなんてワーファリンを服用しているとビタミンKを摂取してはいけないかというと,ビタミンKによってワーファリンの抗凝固作用が減弱するためだそうです.

ワーファリンと食材に関する情報は,下記サイトが分かりやすいです.

www.matumoto.info

ワーファリンを摂取していると,納豆は完全アウトなんです.あんなに美味しいのに笑.

取り敢えず手を付けない

とは言え,生涯に渡り全く緑色野菜を食べないというわけにはいかないので,過剰摂取は避けて,という言い方になるようです.

しかしです.

大人ならともかくとして,離乳食デビューしたての赤ちゃんにとって,あんなちょこっとのメニューのうち,どこまで入れるのが適量でどこからが過剰摂取なのかさっぱり想像がつかないもので笑,とりあえず今は手を付けないようにしています.

今度の外来の時,薬剤師さんにちゃんと質問してみようと思います.

というわけで,あっくん,離乳食デビューです ^^

2017/3/某日 (生後28週3日):あっくん,離乳食デビュー!

外来から少し時間が経っているのは,離乳食グッズを調達していたからです♪

友人から退院祝いで頂いたものを盛大に使わせていただいております.本当にありがたいです!

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あっくん:「なんだこれー!?」

若干の拒否反応を見せながらも,ちょこっと食べてくれました ^^;

長期の入院で母親教室に一度も行けなかったおかーちゃん.初めての離乳食作りに精を出しています♪

使用したグッズのご紹介

いつか(←オイ)ちゃんとレビュー記事を書きますが,触りだけご紹介します.

以下に紹介するグッズが大変役立っています ^^ おかーちゃん絶賛です!

離乳食の本

  • 妻にインタビュー
    • レンジで簡単なのが嬉しい!
    • 冷凍を前提としているので,作り置きができて嬉しい!
    • 基礎の基礎から書いてあるから母親学級に行けなかった自分でも理解できた!
    • シンプルで自分でも作れると思えるメニューで心理的負担が小さい!
    • 見開きで情報が完結していて使いやすい!
    • 月齢別,食材別のまとめも見開きでまとまっていて見やすい!
    • 画像がたくさんあって手順が分かりやすい!

調理セット

  • 妻にインタビュー
    • レンジで作れるのが良い!
    • おかゆクッカーの蓋で本当に吹きこぼれない!
    • こし器,すりおろし器が使いやすい!
    • さっきの本でもこの調理セットが紹介されていたら,本を読みながら迷わず作れる!

食器セット

  • 妻にインタビュー
    • 食べさせるスプーンの角度が絶妙! *(以下の2つは今後使ってみないと分からないけど,特長自体は確認済み.)
    • 赤ちゃんが自分でスプーンを掴んで食べる段階になったときに導入しやすいようなスプーンの角度になっている.使うのが楽しみ.
    • 取り分け用の皿の後ろに吸盤がついているから,チェアの机に張り付けられて皿が落ちにくい!

というわけで,また数回しか使っていないのでしっかりとしたレビューはできませんが,少なくとも私達の導入時点では十分役立っていて,今後の成長に合わせて使い続けられるようです.

またしっかりとした使用感が分かった時に,ご紹介しようと思います ^^

おわりに

離乳食が食べられるまで回復してくれて,本当に良かったです.

手術後のミルクの飲まなさは半端なかったので,あの時の絶望感を思うとこんな小さい一歩でも本当にうれしいのです.

これから色んなご飯を食べられるようになろう!

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あっくん:「ま,ミルクのほうが断然うまいけどねー♪」

おとーちゃん:「でしょーねー ^^;」

2011年3月11日の日記を振り返る

はじめに

下記エントリで述べた経緯で,東日本大震災当時の日記を振り返ります.

www.akkun-ikiru.com

この日記は,あっくんや育児に直結する話ではありません.また,構成もメチャメチャ,段落分けも貧弱,です・ます調でもないことは,当時の文書をそのまま引用したためです.写真も当時持っていたガラケーが容量不足のため最低品質で撮影したもので,画質が超絶荒いです.当時の精神状態が表れている文章になります.

気になった部分だけちょこっと修正していますが,文意はそのままです.

そんな感じでいつもと毛色が変わる投稿になることを,ご容赦下さい.

2011年3月11日(金): 地震当日

地震発生

仙台の研究室で実験中に地震発生.居室は6階建てビルの4階.緊急地震速報が作動し「震度4」と予報. 皆で「4か,とりあえず机にもぐっとくか」的なのりで,このあと起きることなんてつゆも知ることなく机の下へ. そこそこ強い地震がくる.震度5強くらいかな?まぁ宮城県民だし,それくらいの地震は慣れっこで, 皆も強いのきたぞ,位の反応だった気がする.その地震が収まってきたかなーと思いきや突然の第二波. こいつは次元が違かった.経験したことのない強烈な横揺れを感じた.机の上のPCやディスプレイ全部ひっくり返って落ちる落ちる.棚から物が飛び出す.200kgもあろう実験器具がバンバン動いてる.壁がメキメキはがれてる.窓が開いて縁から亀裂が入る.電気がついたりきえたりしてパチパチいってる. 「震度4じゃねーよこれ!!」とか「天井落ちてきたら・・・床抜けたら・・・」とかアホなことを思い始める.あとはとにかく「早く止まれ早く止まれ…」が脳内無限ループしてた.居室の皆が恐怖で怯える表情になった.

↑他の学生が「この建物崩れるかもしれない!」と叫んでいたことも覚えている。

地震が収まる

ずいぶん長いこと揺れて,収まった.もういわゆるドラマのワンシーンのような状態だった.何というか,取り出すことが出来るものがすべて取り出されて,部屋中に無造作にばら撒かれてる感じ.壁が割れて部屋が埃っぽくさーっとしてる(何と表現すればいいのだろう).電気は消え窓から光が漏れてる.警報機がジリジリなってるのが聞こえる.という感じ.

一次避難

「外に出るぞーーー!!!!!!!早くーーー!!!」

不断温和な人が大きな声で叫ぶ.彼は阪神淡路大震災の経験者だったのだ.そして皆我に返る.もうとにかく部屋を出たかった.居住者6人,着の身着のままで災害時用ヘルメットをかぶり居室のドアをあける.すると抜けた天井が目の前に落ちて割れてる.もし俺たまたまここにいたら…と思うと恐ろしい.階段で避難をしようとするけど,何か壁抜けまくり.階段傾いてる.結構新しいビルでこれなのだから,ますますただ事じゃないと感じる.外にはたくさんの人がいた.何か道路がぽっこりしてるとこがある.食堂の電気も消えてる.

とりあえず広い駐車場に退避.強い余震を感じる.そうこうしてるうちに寒いことに気がつく.何か雪強くなってるし,ジャージにサンダルだもん(私の謎の研究スタイル).財布とジャケットを取りに部屋に戻る.非常食にとお菓子を回収.ますます雪が強くなる.あんまりに寒いんで車に入れてもらう.3時すぎくらいにとりあえず家族に連絡.家族は全員無事のよう.この時点ではまだ電波は拾えた.指導教員から心配メールが来てたので返信するが,リターンメールが返ってくる.サーバがやられたか.そしてこんなときに限って携帯の電池が切れそう.友人のワンセグでニュースを見る.M8.8の大地震.10mの大津波警報.こりゃますますただ事じゃないと認識.

二次避難

道路で大渋滞が起きている模様.多分電車もバス使えないだろう.さて,仙台市民でない私はどうするべきか.電車とバスで二時間もある場所までどうやって帰れという.と思ってたら,スピーカで放送が流れる. 「ここの体育館はあんま丈夫じゃないし,食料の備蓄もないから,帰ろうね(超超意訳)」 はいはい,言われんでも出て行きますとも.仕方ないから歩く.校舎をざっくり見ても崩れてるところは見当たらない.中はどうか分からないが. そしてやっぱり大渋滞.絶対歩いたほうが早い.道路がぽこぽこしてる.柱が倒れてる.皆災害用のヘルメットかぶってる.もういかにもって感じになっている.

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そういえば大学に電動自転車置いてるんだった,と思い出して回収.これが後に功を奏す.4人で行動していたが,2人は台原方面の実家に向かって,私ともう一人の方で,その人の家の方面である南仙台に向かうことになり,2人行動になる.この方が私を救ってくださった恩人となる.

↑大学生協では食事も提供され,避難所になっていたらしいが,それは後で知った.

避難所へ駆け込む

辺りが暗くなってくる.たまたま通りで避難所となってる小学校を発見し,そこに避難し一晩過ごす.しかし寒かった.雪降ってるし,超絶に寒かった.食べ物も水も暖房も毛布も無かった.せめて足用にタオルさえあればと思ったが,贅沢は言えない状況だった.新聞紙だけばら撒いてあった.無いよりはありがたい.そしてなぜか常に持ち歩いてる飴で空腹をしのいだ.(ダイエットで絶食に慣れていたのが功を奏したw) ここで自分らが如何にすばらしい生活をしていたか痛感した.あと,こういう不特定多数の人がいる空間だと,やっぱり自分のことばっかり考えてる人がいる.仕方ないんだけどね.

↑避難者は皆,空腹に耐えている.明かりもなく,幼い子供だって皆,空腹と恐怖で泣いているような空間だった.お母さんだって大変だ.そんな中で,大きい声で「いただきまーす」「うまいうまい」と皆に聞こえんばかりに言いながら,家から持ち込んだであろうおにぎりを頬張るなどと言うスーパー空気読まない行動をとった挙句,「地震の研究者なんて役に立たない,一生やってろ!」などの暴言を発して盛り上がっている高齢な方の集団があった.さすがに,それはひどい….

彼らの成果の一つである緊急地震速報があったからこそ,安全に机にもぐり怪我を免れた人だって大勢いるはずだ.そもそも地震の研究者に,自然現象である地震の発生そのものを今日明日にでも抑制することを期待してはいけないだろう.あまりにも理不尽な要求だ.と,思っても仕方がないのだが.

一方で,なけなしのポテトチップスを分けてくださった優しいお母さんもいらっしゃった.見ず知らずの若造にこの善行.女神である.本当に感謝している.

そして,トイレが劣悪環境であった.水が流れないので大量の排泄物が放置され,真冬の夜にもかかわらず虫がわいていた.

この日の夜はメール10回送信を試みて1回送れるくらいに電波が通ってた.そして携帯の電池が切れた.こんなこともあろうかと,PCとUSB充電器を居室から持ちこんでいだのだ.PCの電池が持つ分,少しだけ充電して安心材料に. そんなこんなで,超絶な寒さと,止まない余震と,ラジオから絶え間なく聞こえる緊急地震速報の警報音で,まともに眠れた人などいなかっただろう.

↑今でも緊急地震速報の警報音はトラウマである.そう言えば職場で,部屋中のスマホから地震速報が鳴った時に机の下に潜ったのが私だけのときがあった.またある時,職場で地震を想定した避難訓練もやったときも,机に潜るという行動が皆無だった.「地震 即 机の下」という行動をとることは,宮城県人なら幼稚園児でさえ完璧に刷り込まれているレベルの安全確保手段なのである.

「なんで誰も机の下に潜らない!?今から地震が来るかもしれないときに,なんで突っ立ってんの!?」そんな感情を胸に,強いカルチャーショックを受けた.地域性の違いであり,無理もない.結局その速報は誤作動だったので大事には至らなかったが.

後日,「地震が来たら机の下に潜りましょう!」と職場の朝礼で話したが,どこまで届いたのかまでは分からない.

反省点

  • 携帯の電池は何かあったときのためにある程度充電しておくべきだった.
  • 居室に戻ったときに,冷蔵庫から適当に水分を持ち出すべきだった.

おわりに

これが初日の様子です.

うーむ….まだチョコチョコ残ってはいるのですが,あんまり地震の記事でここを汚すのも憚れれるので,ほどほどにしようと思っています ^^;

東日本大震災当時の日記を振り返る

追悼

3月11日.あの東日本大震災が発生した日です.

この地震で被災し,大切な人を失ってしまった方々,大変な被害に今も苦しみ皆様には,本当に心よりお悔やみを申し上げます.

当時

当時私,宮城県仙台市で大学院生をしておりました.そんなこんなで,かの地震の直撃を受けた一人です. 津波の被害がない地域にいただけ,かなりましだったと思います.

数日間は避難所で生活していたことを今でも思い出します.

テレビでは

地震後しばらくは電気も電波も…ってかインフラ全般終了だったので,地震の直後にテレビでどのような報道が流れていたのか私には分かりません.

ただ,少し経ってテレビが見られるようになってからは,凄惨な津波の被害状況の映像が延々と流れるばかりで,家族ともども陰鬱な日々を過ごしていたと思います.

津波の被害は本当にひどかったです.私もボランティアとして現地支援に行ったこともありましたが,あれはひどいです.あの地域に住んでいる人たちの苦悩を思うと,いたたまれない気持ちになりました.

津波の被害までは受けず

一方,私の大学も実家も山沿いの地域にいたので津波の被害はありませんでした(実家の地域は震度7を観測しましたが…).しかし,インフラや流通が途絶え,周りの人たちも皆,毎日その場しのぎの生活をしていました.それが,当時の大多数の宮城県人の生活であり,私はその一人だったと思います.

テレビでは,最も被害の大きい地域について報道されますが,この大多数の中小規模の被災者の様子というのはあまり大きくは取り上げられるものではありません.もちろん,被害の大きい地域についての報道は,その事実を風化させないために極めて重要なことであり,その報道自体を否定しているのではありません.

ただ,当時実際に被災したかなり多くの人は,津波や原発事故レベルの被害を受けたわけではないけど,普通の生活が,しばらくの期間,継続的に脅かされる程度の被害を受けるような生活をしていたと思うのです.しかし,そういった中小規模程度の被災者の様子はほとんど世間に知られているようには思えませんでした.

それは,私が仕事の関係で福岡に越してきてから,特に強く感じるようになりました.

それでも…

少なくとも,当時宮城にいた人の中に,

「私達だって被災者だよね….」

と寂しそうに口にされる人も,少なくなかったように感じます.

ただ,津波や原発に関する凄惨な事故の被害者のことを思うと,自分だって被災者だなんてことなど,おこがましくておおっぴらには言うべきではないという事情もありました.それが,大多数の被災者の心境だったと思います.

私がそんな立場の一人として,ここに当時の多くの被災者が体験したであろう様子を公開し,読者の方に知って頂けることに,何かしらの価値があるのではないかとふと思ったのです(もちろん,人それぞれ事情は全く異なるのですが,一例として).

あれから6年.当事者であった宮城県の方々も,当時の危機意識が希薄化しつつあっても,不思議ではない時期にさしかかっているのではないでしょうか?

そんな思いが込み上げたので,当時の日記を公開しようと思うに至りました.

当時の日記を振り返る

私は地震当時,記憶があるうちに日々の様子を文書として残しておりました.将来の教訓とするために.

私はその日記を毎年の3月11日に読み返して,当時の様子を振り返るようにしています.振り返った時に思ったことを追記することもありました.

そういう経験もあり,あっくんの病気が判明したときに,ブログを書こうと思った部分もあるかもしれません.

この日記は,あっくんや育児に直結する話ではありません.また,構成もメチャメチャ,段落分けも貧弱,です・ます調でもないことは,当時の文書をそのまま引用したためです.写真も当時持っていたガラケーが容量不足のため最低品質で撮影したもので,画質が超絶荒いです.当時の精神状態が表れている文章になります.

そんな感じでいつもと毛色が変わる投稿になることを,ご容赦下さい.

実際の日記は,次のエントリで公開いたします.