モリケンです。
あっくんが元気なことが、何よりだと思う日々です。
おとーちゃんとアホな遊びをして、キャッキャと無邪気に満面の笑みを浮かべてくれるのが、至福の時間です。
そんなアホなおとーちゃん。2021年3月に、働きながら博士号の学位を取得しました笑。業務とは異分野なので、業務時間外で研究して強引に取りました笑。
経緯
私は、あっくんが生まれる前から、社会人博士課程に就学しておりました。なんでわざわざそんな負荷をかけてまで、働きながら大学院に進学をすることにしたのか?
まず、新卒で入社した、まぁそこそこの規模の企業で、配属ガチャで見事に飛ばされました(旧帝大の修士卒で、学会賞で複数回受賞までした研究領域が、その会社の主力製品とピッタリマッチしていて、しかも新卒採用数が50人くらいで事業部数も4つだけという、サイコロで振っても当たる確率高そうな案件でも、個人の意思と努力とは無関係に、全く専門も活かされず、英語を全く使う機会もなく、興味も希薄な部署に盛大に飛ばされます笑)。
とは言え、絶対にあきらめたくなかった!「ロボット博士になる」という小学生の時からの夢をかなえるべく、わざわざ大学院まで出て、プライベート捨ててTOEIC400点という糞みたいなスコアから、全然スコアが上がらない1年半近くの間、枕を濡らしながら夜な夜な勉強して、なんとかTOEIC900まで底上げしてアメリカに留学してコンピュータサイエンスとプログラミングの勉強をして、現地でも帰国後も、寝る間も惜しんで死に物狂いで勉強と研究をし続けてきたんです。
絶対に挽回したかった!一度きりの人生、絶対に後悔したくなかった!会社の都合なんかで自分の人生をないがしろにされるわけにはいかない!!!
だから、業務と全く異分野でもよかった。半年以上かけて上司をめっちゃ説得して、役員と本社の決済までもらって、ゴリ押しで社会人博士に進学したんです。今思えばすさまじかったな笑。
ところがその半ばで、あっくんの病気が発覚。当然こどもの治療を優先するために(命には代えられないので)、途中休学や休職を挟みましたが。あっくんの治療が落ち着いてきた辺りで復学して、業務時間外に夜な夜な目をこすりながら研究と論文執筆をして、何とか学位取得にこぎつけました。
そんなやり方になってしまったので、6年もかけることになってしまいましたが、どうにかこうにか博士学位論文を仕上げることができました。
www.akkun-ikiru.com
www.akkun-ikiru.com
www.akkun-ikiru.com
絶対にあきらめたくなかったんです。あっくんの病気のせいで博士が取れませんでした、なんて言いたくなかったんです。
そもそも博士ってなんだ?
博士ってなんだよって話ですが、Wikipedia によると(この時点で博士あるまじき行為ですが笑)、
博士 (はくし、: PhD 英: Doctor's degree ドクター・ディグリー)は、多くの国の高等教育機関・体系の中で与えられる学位のうち最高位のものである
と書かれている通り、世界に現存する学位としては、原則としてこれ以上のものはなく、順位付けをするなら全世界的にも最強レベル?らしいです。なんで、まぁマニアとかオタクの世界で、要は変態です笑。更なる高みを目指すなら、当分野で研究を深めながら、異分野でも博士号を取ることになります。(ここまでくると、天才の所業)
あと、世の博士を弁護するべく。博士はなんでも知っていると思われがちですが、どちらかというと自分の専門のことしか分からないもんです。なんで、物知りなんかではなく、知っている領域に偏りがある、というのが比較的正確です。ということから、余計にオタッキー感がプンプンしますね笑。
逆に、常識が希薄なので(私もね笑)、余計に変人なわけです笑。
あと、これも良く勘違いされますが、博士課程って、「授業いっぱい受けて、勉強してテストを受けるような単位」はほぼ皆無なんです。「教科書とか論文を読んで勉強する」なんて、研究するための手段でしかないんだから、自分でやるのが当たり前じゃゴルァ!授業で教えてもらうなんておこがましいんじゃ!
と言った具合です。(意訳だが、そんなに外れてはいない。)
じゃあ博士学生って何すんだ?
じゃあ何をするのかって?かいつまんで言うと、「教科書の内容を覚えてテスト問題を解くこと」ではなく、「教科書に新しいページを追加するに値するような全く新しい真理を、客観的・科学的指標に基づいて検証し、世界に向けて公表する」のが、博士の役目です。
「これまでの歴史で誰も見つけていなかった事実を世界で自分で初めて見つけて、それが他の誰にも行われていないことであるのか?今世界ではどのレベルまで達しているのか?を調査し、自分で仮説を立てて、自分で実験計画を立てて、自分で実証して、自分で発表して、自分で論文として書き上げる。」
大学生の学部生までとは、全く異なる取り組みが求められる世界なんです。
そうだとしてもここまでは、まぁしんどいけど、しんどいなりに楽しさもあるものです。あ!と思いついたアイデアを具現化することが、一応成果として認められるわけですから。本当の地獄はここからです。
「師匠や世界中のプロの諸先輩研究者の方々からそれはもう容赦なくボッコボコのフルボッコにされながら、泣きべそかいて(一般的には)余裕で100ページを超えるような論文を書いて、またボッコボコにされて」
みたいなことをします。国際会議で英語で発表して、英語でボコボコにされて、英語で反論します。いやいや、ここが俺の主張したい点なんだ!理解しておくれ!ってやつ。とは言え、各界のプロなので、おっしゃる指摘は正しいのです。そこで発見された誤りやフィードバックについては、真摯に受け入れて、国際学術論文投稿時にそのレビュー内容を反映させます。
そして、学内では最後に
「公聴会と呼ばれる通過儀礼でトドメのロケットランチャーを食らって瀕死になっても、痛み止めとカンフル剤を補給して絶対あきらめないで這い上がって論文を書き上げて提出する!!!」
というハードゲームを乗り越えねばならない。こんだけやっても
「いやいや、やっぱ博士論文としては物足りない。外部発表の実績も足りない!」
ということになれば、あっさり留年である。最悪は学位を取れないまま修了である。卒業年度が云々だから、という学部生や修士ばりの出来レース感は弱い。
そこを何とか、と実績でちゃんと落としどころをつけられて初めて、世界的に認められる研究者としての運転免許証である博士号(Ph.D.)がもらえるわけです。
この博士学位論文「パーティクルフィルタによる計測誤差の低減に関する研究」こそが、免許を得るための前提条件でした。北九州地方に住んでいた時、たまたま近くに良い研究を行っている先生がいらっしゃり、弟子入りすることに。
それにしても、改善の余地がまだまだある論文です。永遠に終わる気がしない(だから研究なのでしょうが笑)。指導教員の魔法がなければ、このクオリティに至ることはなかった。。。自動車免許みたいに取れればどんだけ楽だったろう💦(おい)
特に日本では、博士?だから何?という伝統企業が多いので、なんとコストパフォーマンスの悪い学位なのです笑。
そんなんだから、「博士の学位とは、足の裏の米粒」なんて言われてしまうわけです。その心は、「取らないと気持ち悪いけれど、取ったとしても食えやしない」という意味です。うまい、うますぎる。わざわざ数年という時間と、安くはない学費と、メンタルを犠牲にして学位を取得しても、伝統企業では全くプレミアムが付かないのだから、まさにこの通りなのである。
(逆に、海外企業、外資系企業、スタートアップ・ベンチャーまで射程に入れたうえで、経営者が誠実であれば、きちんと博士号プレミアムが認められやすいので、投じたコストを回収できるだけのリターンが得られる見込みが高いです。)
おとーちゃん:性根がどMなので ^^; あなたもいかが?笑
まぁ、てな世界観ですので、もはやドMブラックなわけです笑。
その分、博士号取得後は、少し景色が変わると言われるのは、分からんでもない気はしなくもないです(オイ)
そんだけしんどい思いをしても、日本の総合職キャリアでは博士を取ったからと言ってどうということはないでしょう。
が、専門職キャリアや外資系キャリアにおいては、研究者としての前提条件としての切符を手に入れたと言えます。
海外に行くときの飛行機に乗るときや、ホテルのチェックインで、敬称を Mr. ではなくて、Dr. と書くだけで、待遇が変わるようです。(コロナ以降海外行けてないので、経験ないですが笑)
海外行きたいー、英語使いたい―。
何はともあれ、協力してくださった皆さんには、本当に感謝の思いでいっぱいです。
記念撮影
私の父に博士号取得に関して報告したところ、せっかく学位を取ったのだから何か買わせて、と。
私は、別にそんなもんいいから、飯とか食べて思い出にしよう、と。
父曰く、いいや、何か記念に形に残るものにすべし、と。
という類のやり取りの末(どんなやり取りだ)、最近少しずつ日本でもなじみが出てきた、博士号取得者向けのアカデミックローブを購入してくれたので、それを着てあっくんと記念撮影。これまたありがたい時間でした。
おとーちゃん:親孝行にはなりましたよ、はい ^^;
単なる私側の都合なので、あっくんはぐずりまくりで、家族からも早く終わらせてくれオーラ万歳だったので笑、申し訳ないって感じでした💦笑
おわりに
私が好きな表現で、米国英語で「Commencement」という言葉があります。これは、「卒業式」という意味でつかわれるのですが、語源は「始まり」なんです。
つまり、学位を取ってセレモニーでお祝いしてあー終わり!という日本的な「卒業」とは逆ですね。だって、新卒で入社した瞬間、待遇の良い企業を選択してしまったら最後(士業や資格をベースとして専門職キャリアは別)、総合職でも一般職でも、あとのキャリアは全部会社任せ。大学で学んだことの専門なんて全く使わなくていい。
(じゃあ何のための高等教育機関か?なんのためにリベラルアーツを重んじる総合大学を乱立したのか?そのうえで専門特化のために大学院重点教育もしたはずでは?形式だけでなく、もっと本質的にこの壊れた構造を見直すことが、この国や未来を担う後世のためには必要だと思う、という、何かを解決できるわけでもない評論はやめておき笑、納税者としての参政権を行使し、おとなしく選挙で投票します笑。)
何はともあれ、卒業した後こそが「始まり」であり、本当の勝負なんです。
昔の学歴や成績でマウントを取るなんてもってのほかです。大人になれば、いかに仕事で他の人に貢献できたかが大切になります。
ここまで培った技術や知見を、いよいよ社会に還元して、人々に貢献する段になったのだから、もっともっと精進しないといけませんね!
というわけで、おとーちゃんの博士に関する報告になってしまいました笑。
まぁ、たまにはいいか笑。私が筆者ですし、あっくんも絡んではいる笑。
あっくん:あんまり長話に付き合わせないでください!
おとーちゃん:はーい!とはいっても、これまた巻き込んじゃうんだな、おとーちゃんは!(こんなことして、知恵のついてきたあっくんと遊ぶのが楽しい笑)これからも変なこと、馬鹿なことしていっぱい遊ぼうね♪